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2025-01-06月光:ムーンライト

琥珀色の月の雫に抱かれて(伊佐沼)【蘇る記憶の玉手箱01】

さて、私(ワタクシ)事だけど、昨年丸々1年以上かけて、マンションの住み替えを行いました。個人事業者でもあるので、通常の倍以上の労力と時間がかかりました。

 

いや~、大変。。板橋から埼玉のふじみ野市に。一生の内でもそう何回もない大忙しのビッグプロジェクトでした。

 

引越しのカタズケや事務手続きもだいぶ落ち着き、2025年、晴れて新たなる出発です。このふじみ野は前から住んでみたい街でした。色々と伏線はあるのだけど、それは追々。

 

そして、シリーズ第1回のネタは、この伊佐沼の月。ふじみ野からも程近い、川越にある静かな沼。更に過去ログを最大限謳歌したいので、今後シリーズとして展開できる【蘇る記憶の玉手箱】としてみました。

 

今回は、月の神秘的でホノカな明かりに染まってみましょう。

 


実はこの頃、なかなかいい旅のシチュエイションでの観月には恵まれなかった。そこで3月初旬の「月旅」を決行。厳寒の真っ白く凍結した湖に浮かぶ月を見たい・・・。

 

あるいは、流氷原の見える岸壁に立ち、ホワイトワールドの中で月を迎えられたらどんなにシュールだろうと思い、北海道行きを計画していたのだった。でも天候が悪化して、やむなく断念・・・。

 

満月を見る場所とタイミングは、実に難しい。だから故、ドンピシャのタイミングで見れた時のシーンはとても貴重であり、心に深く深く響いてくるのです。

 

で、仕事との兼ね合いもあり、一時はあきらめていたのだけど、十三夜のその日、空を見上げると、ふっと雲が切れそうに感じた。

 


行こう!近場でもいいじゃないか!!
選んだ場所は、前回の輪行で自転車を預けてある川越の近くの伊佐沼。

 

ほんとは、沼で満月を見るには十四夜がベスト。十五夜では、出るタイミングがかなり遅いのです。水平線から上がる月は最高なのだけど、地平線に障害物のある沼や湖・川では、暗くなってからの月の出になってしまう・・・。

 

一日の違いで全然違ったシーンになるのですよ。

 


さて、十三夜の伊佐沼では案の上、西側が茜色に染まる頃にはすでに月は中空高く上がっていた。でも素晴らしい夕焼だ。

 

実は十五夜では、日の入と月の出の時刻がドンピシャと合うのだ!太陽と月の不思議な相関関係。何という天空の法則!

 

いつも思う。ここには何か必ず「天空の遊び心」「宇宙の意志」のようなものが存在しているのではないかと・・・。

 


そして東側はうっすらと花ぐもりのようなベールをまとった空。ただこの日、そのレースのカーテンのような曇り空が、うっすらと琥珀色に染まったのだった。

 


雲は月の光を、自由にドゥローイングしてくれる。薄暮の中、すでに上がった月はわずかに白く輝き、ほとんど自己主張をしない。それが太陽が姿を消すと、今度は私の番だよと輝き出すのだ。

 


刻一刻とあたりが暗くなるにつれて、月の輝きが増し、この鏡のような伊佐沼に、穏やかな月の姿を映し出す。
ひと月の内に僅か一日しか訪れない、まさに自然界の祝祭の日。

 

その日、静かに酒を飲み、空や宇宙の事を想い、映し出されたこのリアルでライブな幻想空間にいないなんて、とってももったいない事だなあと思う。

 


ここは月の劇場。全てを照らし尽くす太陽の光と違い、ほのかに主役にのみスポットを当てる月の光・・・。そこには、見える物を絞り込んだ心の心象風景が映し出される。ふっと自分の「心の中」を覗きたくなったら、この劇場に立ち寄るといい。

 


琥珀に閉じ込められた、何億年もの記憶。水面に映った月の虚像が、ゆらゆらと揺らめき、微細な浮遊物を照らし出す。相似率。僕には、遙か天空に存在する球状星団に見えてくる・・・。

 


太陽の光が、外に向かって活動的に行動する為のものであるなら、月の光は、沈思し、自分の心の中を旅する為の光。

 

実は、僕は基本的に超が付くほどの「太陽族?」である。赤道直下の南の島でも、ほとんど何の防御もせず、喜んで陽の光を浴び、海を漂い潜る男。でも、そんな自分だからこそ、その真逆の月に惹かれるのかもしれない。

 


陽と陰、メジャーとマイナー、日常と非日常、コモンセンスとアバンギャルド・・・。結局そのバランス感覚が大事なんだな~と、つくづく思う。

 

人生は、振り幅が大きいほど充実するのです^^

 

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