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2021-02-18郡上八幡・岐阜市・美濃

郡上八幡、岐阜市、美濃と巡った、2月旅の記録。(岐阜旅01)

子供の頃、1年半ほど岐阜市に住んでいた。小学校・低学年の頃。その記憶は断片的ながら、驚くほど鮮明な映像として脳裏に焼き付いている。

 

最大のものは、長良川の感触。当時、水泳教室に通い、ここで泳ぎをマスターしたのだ。
その、川とは思えないほどの水深の深さと、驚くほどの水の透明度!
それは、その後の自分の人生(進路)をも決めてしまったかのように、今に繋がっている。

 

そして、鵜飼の神秘的なかがり火の朱色、エルヴェというケーキ店の生クリームの味、柳ヶ瀬アーケード街のケダルイ喧騒の誘惑、etc…。

 


その中でも特に鮮烈に覚えているのが、金華山の隣にある水道山で遭遇した、幾種もの蝶の乱舞。その「パラダイスの象徴」のようなシーンは、未だに夢に出てくるほどだ。

 

そして家族で行った乗鞍の美しい白樺林で、初めてアサギマダラを捕まえた時の感動。
更に穂高山荘の詩情のある佇まいと、夜の明かりに群がる妖艶な蛾の色彩のフラッシュバック。。

 

当時から、昆虫たちの神秘性と造形美に憧れを持つ少年だった。でもそれ以上に、自然そのものの「根源的な情緒」に惹かれていたのかもしれない。

 

それは「昆虫=完成された美」という媒介が、「自然という神秘の懐(フトコロ)」に入るための「ナチュラルゲート」そのものだったように思う。

 

今となってみれば、「美を扱う仕事=アートディレクター&デザイナー」になるキッカケが、もうすでにそこで産声を上げていたのだろう。

 


この時(2014年の同じ2月)、岐阜を旅先に選んだのも、そんな甘酸っぱい郷愁がちょっぴりあったからだ。
岐阜市そのものに再度足を踏み入れたのは、この時が初めて。50年ぶりぐらいになるだろうか。

 

旅の行程としては、郡上八幡に2日、岐阜市に2日、美濃市に1日と。4泊5日の旅だ。
ボリュームがあるので、これをこの後3回に分けてUPしてみる。

 


この時の旅の彩(イロドリ)が『古いものと新しいものとの融合』 。今、そこにとても惹かれる。もうこれは僕の旅のテーマの一つになった感がある。
そしてマイブームであると同時に、これは今のトレンド。

 

様々な地で、町屋や古民家、蔵や倉庫を改装して、続々とお洒落なカフェやショップが誕生している。とても興味深いし、いい流れだと思う。

 

歴史のある建物や空間の中には、その長い時間を費やしてきた、何ともいえない趣があるからだ。こればっかりは、いくらソレっぽく今風に新しく店を造ったとしても、絶対に出せない「味」だ。

 


ふと思えば、僕が学生だった頃からその源流はあった。
例えば品川のウォーターフロント。昔の古びた倉庫を改装して、ユニークなお店が出来始めていた。

 

当時は、デザイナーやイラストレーター、スタイリストやカメラマンなどの横文字商売のスノッブな人種が主なターゲットだった。
でも今は、それが一般人をも巻き込むトレンドになってきている。これも時代の流れ。昭和の文化を楽しむ、レトロブームでもあるしねっ☆[゜ー^]

 

ここでも様々な場所を訪れたけど、やはり上記の部分をメインに据えて語っていこうと思う。

 

◇ ◇ ◇

 

仕事も終わってホッとできる、夜の風呂上りのひと時。今、この岐阜の旅を想いながら言葉を綴っている。そんな何ものにも束縛されない、静かで仄かな時間が好きだ。

 

旅の現場では、意識は「外」に向かう。そして戻ってきた後のブログでは、心は「内」に向かう。その表裏一体の関係性が面白い。
両方必要だから、旅のブログを書きたいと思うのだろう。

 

旅を通して蓄積されたリアルなイメージや匂い。それがギッシリと詰まっている「心の樽」。
その中から「言葉」という「ひしゃく」で、ほんの少しだけでもすくい取ってみたい。
すると、様々な想いやインスピレーションが蘇ってくるのだ☆彡

 

それは「酒精」のように、時間と共に醗酵され香りを放つ、珠玉のエキスのようなモノなのかもしれない……。

 

※写真は全てこの時の旅のモノ。 4部作の(岐阜旅02)に続く

 

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